二条蔵人清平と御台所(みだいどころ 夫人)は子供が欲しいので大和の国(奈良県)の長谷寺の観世音に祈誓(きせい 神仏に祈り誓いをたてること)をして七日間参籠(さんろう 神社や寺に一日中籠って祈願すること)します。

長谷寺は686年道明上人が銅板法華説相図を安置した時に始まり、ご本尊の十一面観音は、727年徳道上人が聖武天皇の勅を奉じて衆生済度ために十一面観音を祀ることにはじまりました。

現在は真言宗のお寺ですが、空海が816年金剛峯寺創立した時が始まりですから当時は法相宗か何かだったと妄想できます。

その頃は十一面観音信仰が流行っていた時期でそれは泰澄上人(たいちょうしょうにん)が本家本元と云われています。

泰澄上人は十一面観音の信仰家で民衆に其の信仰を鼓吹し、その結果大変に流行りました。

ですから現在でも古いお寺ほど本尊が十一面観音であることが多く、また十一面観音は密教関係のお寺に多く十一面観世音法(じゅういちめんかんぜおんほう)という除病・滅罪・求福を祈る修法もあります。

つまり純密でなく雑密でありますが、法力さえあれば民衆はなんでもかまわず、祈祷などが非常にすぐれているお寺をこそ信仰したことでしょう。

泰澄上人は越(こし)の大徳と呼ばれ加賀白山開創者であります。

行基の友人でもあり、養老年間に元正天皇(げんしょうてんのう)が病を得たとき、祈祷を頼まれ、その結果平癒したので非常に喜ばれ、神融禅師のおくり名をおくられたような人でありましたが、政治的な動きを嫌い、山岳修験者として山を歩き、日本全国、池を掘ったり、橋を掛けたり、また貧民の救済をして回っていた行動の宗教者であったようです。

mousou