嵯峨天皇の一代前、兄の平城天皇の時代に大規模な官庁機構の整理が行われました。財政緊縮が目的だと云われています。それも何か現代に通じそうです。

反面、また新しく作られた官職もあります。

嵯峨天皇の時に置いた蔵人所(くろうどどころ)と検非違使(けびいし)です。

愛護の父親は二条蔵人、先の左大臣清平であり、六条の判官行重の判官(ほうがん)は検非違使の判官(じょう)です。

検非違使とは都の治安維持のための役職です。

一方蔵人所は嵯峨天皇が平城天皇との対立により機密保持のために任命した役職です。

その辺を妄想すると、愛護の時代背景としては面白そうなのですが、その後に出てくる文章「関白・右大臣・左大臣を先頭に・・・」があり、関白は884年、光孝天皇の時代に始まる最高官職ですから、当然愛護の物語はそれ以後の時代と云えるでしょう

七十三代の天皇は堀川天皇(ほりかわてんのう)です。

父親は七十二代白河天皇(しらかわてんのう)で、三不如意(さんふにょい)以外全て思いのままと言い放ち、譲位以後も通算43年間君臨した上皇です。(ちなみに三不如意とは鴨川の水、サイコロの目、比叡山の山法師)

息子堀川は9歳で即位し29歳で病没するまで天皇でしたが、生まれつき病弱で優しい性格であったようで、政務より音曲や文学など芸術方面に生きたようです。

愛護の物語の中の天皇の性格に近いような気もします。

mousou