愛護の若は説経節の段ものとしてはある意味忘れ去られた物語かも知れません。(もっとも説経節自体が忘れ去られ芸能なのですが・・・)義理の母子とは云いながら一種の近親相姦がシュチエーションとなる特殊な物語ですが、同じ系統のもので説経節にはもう一つ有名な物語が有ります。
義太夫節にアレンジされて「合邦」となった、しんとく丸です。
両方とも後妻に入った義理の母親に恋を仕掛けられ、拒否したために誹謗を受けて放浪する話です。
この種の話は世界各国に古くからあるようで、有名ものではギリシャ神話にもあります。アテナイ王テセウスにはアマゾン女王アンティオペとの間に美少年の息子ヒッポリュトスがいましたが、テセウスの妻パイドラはこの義理の息子に恋をしてしまうのです。
しかしどうしても相手にされないのでヒッポリュトスを讒言(ざんげん)した遺書を残し自殺してしまいます。その遺書を真に受けた父テセウスは息子を殺してしまいます。
ほとんど愛護の物語と同じ展開です。
ただ、現在の感覚では、実母でなければその「愛」は構わないではないかとの意見を、愛護の若を聞いたり、「恋に狂いてを」見た何人かの人にもらいました。
タブーがそれほどのタブーに思われなくなったのでしょう。純粋に愛する事にたいする理解と憧れがあるのかも知れません。
また、現代だけでなく古代にもそんなタブーが存在したかは疑問があります。
ギリシャ神話の大地の女神ガイアは息子のウラノスと交わって17人の子供を作り、その子供達は母の命を受けて、末っ子のクロノスが父ウラノスの男根を切り取ってしまう、と云う物語があります。(そしてその海に投げ捨てられたウラノスの性器から精液が滴り、その泡から生まれたのがビーナスです)
また日本の神話にも近親相姦の物語はあります。
現代と古代はもしかすると時間を超えてそんな部分で繋がっている・・・?
のかも知れません。
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